団栗/今日の俳句 ≪No.1579≫  

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   ☆木の実/今日の俳句☆  

☆★☆≪No.1579☆彡★……☆★☆  2014年(平成26年)11月1日(土) 彡……☆★☆……☆★☆*……☆★☆

■ 創価大学は人間教育の世界的拠点   …………………………………………  2015年4月 工学部が理工学部共生創造理工学科を開設<文科省が認可> …………………………………………………………………………………………………

 創価大学(東京・八王子市)の「共生創造理工学科」が10月31日、文部科学省から認可され、明2015年4月の開設へ、入試出願期間が発表になった。

 これに伴い、現在の「工学部」が「理工学部」に名称変更され、「共生創造理工学科」と既存の「情報システム工学科」の2学科体制となる。

 新学科では、「地球共生」の理念のもと、現代の社会的諸問題を解決する科学技術の能力と、豊かな想像力を有した人材の育成を目指す。

 具体的には、従来の工学の枠を超え、物理や化学などの分野を格段と充実させる。

 1年次から2年次前半では、幅広く理工学の基礎科目を習得。

 2年次後半からは、理学と工学を融合した四つの学問領域「応用物理学」「物質理工学」「生命理工学」「環境理工学」を興味に応じて学ぶことができる。

 3年次には、少人数のグループ演習を中心に、理工学の基礎知識を応用した課題解決型学習に取り組む。

 4年次は、卒業研究等を通し、それぞれの専門分野を探求する。

 さらに、学生の海外留学やキャリア支援を重視。中学・高校の理科の教員を養成するプログラムも導入する予定になっている。

 卒業後は、産業界や研究職、教職など活躍の舞台が開かれる。

 開学50周年の2021年に向け、「看護学部」「国際教養学部」に続き、理工学分野を再編成する創価大学

 馬場学長は語る。 「人間教育の世界的拠点を目指し、人類の発展に寄与する“科学技術のパイオニア”を育成してまいります。

 共生創造理工学科の出願期間は次の通り。

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【公募推薦入試】

(出願期間) 12月8日(月)から12月15日(月)まで。締め切り日の消印有効。    (試験日)  1月11日(日)

※このほか、全学統一入試や一般入試の詳細、願書の請求などは創大ホームページ=http://www.soka.ac.jp/を参照。  問い合わせは、創大アドミッションズセンター=電話042(691)4617.平日の午前9時半から午後5時まで。

【「聖教新聞」2014年(平成26年)11月1日(土)より転載】      

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  ■※今日の俳句※■

  団栗のもらはれてゆく森の外         沼田巴字

  団栗を乗せ天草の絵皿売る         宮津昭彦

  どんぐり独楽(ごま)いで湯の宿の卓に澄める         横山房子

※ 団栗  ドングリは果実(堅果)であり、種子ではない。樹種により形状は多様であるが、ドングリに限らずブナ科の果実の共通の特徴として、先端はとがり、表面の皮は硬く、上部はすべすべして茶色、下部はぶつぶつした薄めの褐色である。果実の下部または全部を覆うおわん状・まり状のものは殻斗である。 ドングリの殻斗は俗には「ぼうし」「はかま」などと呼ばれる。殻斗は総苞片が集まり、癒合変形、乾燥したものであり、ブナ科とナンキョクブナ科[3]の果実特有のものである。このことから、かつてブナ科は殻斗科と呼ばれた[4]。ブナ科の堅果は、他の堅果と区別して殻斗果またはどんぐり状果と呼ばれる。 ドングリのイメージとして、細長く、下部をぶつぶつとした殻斗が覆う、というものがしばしば見られるが、クヌギではドングリは丸く、殻斗は毛が生えたようになっている。クリまたスダジイなど殻斗がドングリ全体を覆うものもある。クリの殻斗はトゲが生え、「イガ」と呼ばれる。 内部の種子の大部分を占める子葉はデンプン質に富み、人間を含む動物の食料になる。日本の古典的な玩具(独楽など)の材料にもなった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】

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 ■わが友に贈る/名字の言■

【「聖教新聞」2014年(平成26年)11月1日(土)より転載】      

※わが友に贈る※

  未来の指導者たる

  学生部は世界の宝!

  対話拡大に挑む

  英知の若師子に

  最大の応援と励ましを!     

       11月1日

※名字の言※

東日本大震災を機に、今こそ日本人になりたい、と国籍を取得した文学者のドナルド・キーン氏。氏には日本人の恩師がいた。米国で「日本学」を育てた角田柳作氏だ

太平洋戦争開戦の3カ月前、角田氏がコロンビア大学で日本文化の講義を担当した際、希望者はキーン氏1人。恐縮し、辞退を告げると、角田氏は「一人でもいい、やります」。自分の研究を犠牲にしても授業に万全を尽くした。“先生は自分のすべてを与えていました”とキーン氏。氏の数々の業績の礎に、戦時の師弟の絆があった

小児まひを患い、幼少から下半身不随になった東京の壮年。彼の原点は、55年前にある。墨田区で池田名誉会長の出席する会合に参加。帰りに信号待ちをしていると、横の車に名誉会長が座っていた。「先生!」。その叫びに、師は応えた。“負けてはいけないよ”と。この出会いが、後年、壮年を励まし続けた

装飾品加工業を立ち上げ、地域貢献にも尽くす。20年前から子どもたちの姿を撮影。作品は小学校に展示され、校内で講演も行った。その活動は地元紙にも紹介され、壮年の生き方に人間の輝きを見たと、今年、親族が入会した

限りない向上の道を進む羅針盤こそ師弟である。「学会創立の月」に感謝と決意を新たにしたい。(江)

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