山葡萄/今日の俳句 ≪No.1582≫     

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   ☆山葡萄/今日の俳句☆  

☆★☆≪No.1582☆彡★……☆★☆  2014年(平成26年)11月5日(水) 彡……☆★☆……☆★☆*……☆★☆

■幸福の凱歌を満天下に 北九州・長崎・鹿児島などで青年大会

<写真>参加者と出演者合わせて1万6000人が集った北九州総県のアジア創価青年大会。学会の励ましの世界に心を打たれ、この約1年の間に入会、発心した友の姿も多い。大会では竹岡男子部長、西野女子部書記長が励ました

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 幸福の凱歌を満天下に! 歓喜の歌声を響かせゆく「創価青年大会」が各地で活発に行われている。1日に佐賀、2日には鳥取、福岡、長崎、鹿児島などで盛大に開催された。このうち、福岡・北九州総県の大会は北九州メディアドーム、長崎創価県の大会は長崎市民会館、鹿児島総県の大会は鹿児島市民文化ホールでそれぞれ盛大に開かれ、次代を担う男子部、女子部、学生部、未来部の友の熱演に喝采が送られた。

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  ■※今日の俳句※■

  山葡萄からめる木々も見慣れつゝ         星野立子

  あをぞらをのせて雲ゆく山葡萄         清水衣子

  野葡萄のむらさきあはき思ひかな         島谷征良

※山葡萄・野葡萄。

<山葡萄の血>(随筆) 作者・散文(批評随筆小説等) 山葡萄の血 Copyright 亜樹 2009-01-24 21:55:52 URL=http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=176303

 悦子は小学5年生である。  悦子の通う小学校は、とても小さい。全校生徒は、100人にも満たない。  悦子の家は、学校から3キロばかし離れている。悦子は入学したときから、小さな足でその距離を歩いて通っている。同じ方向から通っていた友人は、3年の冬、父親の仕事の都合で都会の学校へと転校した。以来、一人で悦子は登下校している。  ここいらでは、変質者よりも熊の方が遭遇率が高い。悦子の赤いランドセルには、学校で配られた熊よけの鈴が二つ、つけられている。リンリンとそれが可愛らしく鳴っていた。  長い下校の途中、悦子の最近の楽しみは、山葡萄の実を握り潰すことである。  それは、登下校中の山道に点々と生えている野草だ。葡萄のように赤紫の実が房になって生っている。  山葡萄、と呼ばれてはいるものの、それは食べられない。悦子はそれは毒だと祖母にきつく言い含められていた。山葡萄だけではない。へび苺も彼岸花もダリアも、赤いものは皆毒だ。  最初はそれをとっては、一粒ずつ道路に向かって放っていた。ときたま通る車に轢かれ、点々と赤い模様ができる。それが気に入っていた。  握りつぶしてみたのは、ほんの気まぐれだった。濃い赤い汁は、悦子の掌を真っ赤に染めた。道路に小さな模様をつけるより、ずっと楽しかった。  真っ赤に染まった手を、舐めてみたい、と悦子は思った。  けれども、それは毒である。  仕方なく悦子は、毎日家に帰ってから、母親に見つからないように石鹸で丹念に手を洗っていた。

 その日、朝から悦子は下腹部が酷くだるかった。  それでも、学校までは歩いていかなければならない。  授業の内容など、頭に入るはずもない。長い一日が漸く終わり、いつものように山葡萄を握りつぶしながら悦子は家に帰った。  手洗い場で手を洗う。石鹸で、ごしごしと。  そのとき、不意にどろりと下着の中が汚れた感触がした。  怪訝に思った悦子が、トイレの中に入り、下着を下ろすと、どす黒い染みがべったりと付着していた。

 ああ、どうしよう、と悦子は思った。  ああ、どうしよう、山葡萄の毒だ、と。

【「現代詩フォーラム」より転載】 http://po-m.com/forum/

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 ■わが友に贈る/名字の言■

【「聖教新聞」2014年(平成26年)11月5日(水)より転載】      

※わが友に贈る※

  師弟の不屈の闘争で

  広布の大河は世界に!

  この不滅の原点を胸に

  「創立の月」を進め!

  勇気の二字で勝て!   

       11月4日

※名字の言※

夕食前のひとときだろうか。母子の笑い声が聞こえてくる。家々が立ち並ぶ、ネパール・カトマンズの近郊の丘を訪れた。「条件が良ければ、ヒマラヤがきれいに見える」と地元住民にも人気のスポットだ

1995年の11月、池田SGI会長はこの場所で、夕焼けに染まるヒマラヤを写真に収めた。山を覆っていた雲が流れ、王者の峰が姿を現したのは、一瞬の出来事。まるでヒマラヤが、SGI会長の来訪を祝福しているようだった、と同行した友は振り返る

当時、空き地が広がっていた丘は、今では、道路がきれいに舗装され、地域有数の高級住宅も立ち並んでいる

SGI会長はネパールで、数々の行事の合間を縫って、友に励ましを送り続けた。一家の経済苦に直面していた壮年は、「絶対に幸せに」との激励に奮起した。翌年、事業は軌道に乗り始め、今では、一家で大手家具販売店を経営。少女部員としてSGI会長を迎えた娘も、留学から帰国し、母国の広布に走る

SGI会長のヒマラヤの写真は、ネパール平和会館で、同志の前進を見守り続ける。写真は、移ろいゆく時の「瞬間」をとらえ、永遠の命を与える。人にも、生涯の原点となる「忘れ得ぬ瞬間」がある。ネパールの人々と大自然は、それを教えてくれた。(蹴)

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